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縁起

流山本町の中心、根郷に位置する「梅本山常與寺」は、鎌倉時代創建の名刹です。

梅本山常與寺は、鎌倉時代末期の嘉暦元年(1326年)、高祖日蓮聖人の孫弟子である日念上人が馬場(番場)の地に草庵を結んで梅本坊(ばいほんぼう)を開基したことに端を発します。

200年を経て、途絶えていた梅本坊を常與寺二世日信上人が場所を変え再建しました。さらにその弟子の第三世日遊上人の時代に、流山村開闢(かいびゃく)の六軒百姓の須藤常蓮から敷地寄付等の助力を得、現在地に本堂が建立され、墓域が整えられました。寛永14年(1637年)のことです。

梅本山常與寺の山号は旧号の「梅本坊」に由来し、寺号は梅本坊再建の功績者である「須藤常蓮」とその妻「妙與」の法名の一文字ずつを取って名付けられ、本山真間山弘法寺(市川市)から「梅本山常與寺」の山号・寺号を受領したと伝わっています。

参道右手には、樹齢500年と伝わる流山根郷随一の大イチョウがそびえ立ち、正面には堂々たる唐破風様式の本堂があります。木造建築の粋を集めた本堂の太い柱・梁や格調高い格天井は圧巻です。

堂内正面には大曼荼羅本尊(一塔両尊)と日蓮聖人坐像が鎮座し、右横には「清正公大神祇」(戦国武将加藤清正公御尊像)が祀られ、清正公の月命日には信行会が行われています。寺宝の「紙本著色日蓮聖人像」一幅は、流山市有形文化財に指定されています。

紙本著色日蓮聖人像

縁起原文

勧請諸尊

~祀られてる神様・仏様~

本堂、御宝前の横には三体の大黒天さまと釈迦立像、清正公等が奉安されています。

千葉県近代教育発祥の地

「印旛官員共立学舎」現在の千葉大学教育学部と

千葉県最古の流山小学校発祥の地

参道左手に、昭和57年(1982年)建立の大きな石碑があり、上部に「千葉師範学校発祥之地」と刻銘され、その下には「印旛官員共立学舎跡」の題字が刻まれています。

明治政府は、明治5年(1872年)8月、学制を発布し、53,760の小学校設立を目指し全国県庁に発令しました。当時、流山は印旛県の県庁所在地であったため、県庁に近い常與寺本堂を校舎に代用し、流山学校が開設されました。近隣の男女約100人の子どもが入学したといわれています。同時に、流山学校に教員養成所「印旛官員共立学舎」が開設され、共立学舎で学んだ卒業生は、県内各地の小学校教育に力を尽くすことになりました。

その後、「印旛官員共立学舎」は、明治6年(1873年)千葉町に移り、千葉学校、千葉師範学校を経て現在の千葉大学教育学部となります。流山学校は、学制発布に基づく千葉最古の小学校として流山本町に残り、現在の流山小学校に至っています。

千葉県近代教育の歴史は、この常與寺から始まり、令和4年(2022年)には「千葉大学教育学部」と「流山小学校」は共に、創立150年になります。

現在の流山小学校

参考書籍

  • 『梅本山常與寺記』
  • 『流山町誌』
  • 『流山市史研究』
  • 『千葉県史明治編』
  • 『千葉県小学校変遷一覧』

境内

境内には、樹齢約500年、流山市の保存樹木指定も受けている大イチョウをはじめ、大イチョウに劣らぬ樹齢を重ねるサルスベリの木。

とげぬき地蔵とも比較されることの多い浄行菩薩様、寺宝に関する掲示板など、お立ち寄りの際には是非ご覧ください。

大イチョウ

過去

令和元年9月9日、千葉県を襲った台風15号のため3分の2ほどの高さで倒木してしまいました。折れる以前の様子は下記グーグルビューにてご覧いただけます。

googleビュー